ヒマな夜によくやるやつ

 

全然推しの話じゃないし全くもって面白さもオチもないんだけど、久しぶりに文章書いたらキリのいいところまで出来ちゃったからとっておこうかな!!というポジティブもったいない精神。朝になったら恥ずかしくて仕方ないくせに深夜によくやるアレでーす!!

 

 

 

 

大人ってなんだろ?

私は全然特別な人ではないと知ってしまっているので、今、日曜日の夜の8時にも1億人ぐらいの人が考えていそうなことを、ベッドの上に寝転がって天井をぼうっと眺めながら考えている。

 

 

成人式はとっくに終えて、法律では大人。

社会人にもなって、大学生みたいに好きな時間に好きなことをすることは出来なくなった代わりに、その時の2倍の給料と正社員という肩書きをもらった。朝起きてご飯を食べて満員電車に揺られて、何をして良いかもまだわからなくなりながらメモを取ってパソコンと睨み合っていたら、1日なんて1週間なんて、あっという間に流れてしまった。

 

 

先輩に「最近の新人は研修が充実してて良いね。俺たちの頃なんて放置だったからなぁ。」と、よく言われるようになった。その研修をやる上司は、放置されていた世代でも自分から学んで学んで、やりたい事をやるべき事に変えていき、出世という結果をもらった方ばかりだから、みんな必ず口裏を合わせたかのように同じ言葉を言う。

「何がしたいのかを考えなさい。何のためにこの仕事をしているのかを考えなさい。」

 

 

同期はみんな、頭が良くて、頭が良い人間に見せるのが上手だ。研修の中では、まるで採用面接の続きみたいに自分の理想と現状、そこから導き出される今自分が成さなければならない課題をスラスラと述べ、終わった後の同期しかいない休憩時間では「目標とか言われてもなぁ」と眉を下げながら笑っている。

 

 

みんなはどこで自我を手に入れたんだろう。やっぱり就活の時かな。大学やセミナーで自分が何をしたいかを書き出し、そのための仕事に就くために就職先を探す。私は自分を守ることを第一にして生きてきてしまったので、自己分析シートもインターンに参加して同じ志を持つ同期と夢を語り合うことも何一つせずに、マイナビの画面を人差し指でスクロールしただけで就職先を見つけて、嘘を多分に混ぜた作り物の人生とお行儀良く揃えた足先と力を抜いたらすぐに消えてしまう笑顔だけでここに来た。したい事なんて何もない自分を直視するのを避けて生きてしまったから、やりたい事を信じられなくなったのか。

 

 

やりたい事はその時にしかなかった。熱量が保てなかった。英語の研修でゴールデンウィークに海外旅行をしたという話をしたら、「なら、海外旅行の時に現地の人と喋れる事を目標にしてみたら?仕事だけじゃなくて、プライベートの趣味の範囲の目標だって全然構わないのよ。」と言われ、私はよし!そうしよう!と確かに熱量を持って目標を決めた。仕事が終わる3時間後にはどうでも良くなっていた。やりたい事の熱量をどうしてそんなに保っていられるのかがわからない。

 

 

最近、「25歳になったら性格は変わらない」という内容の記事を読んだ。25歳までに決めた自分の道を歩いていくために、人は生きて、時に他人を押しのけていくこともあって、それは信念とも呼ばれる名前で存在しているのだという。そんな大それた事じゃない。朝ごはん食べなきゃ無理な人生と寝起きで朝ごはん食べられない人生、人それぞれだよね、ぐらいの話。

わがままを押し通すのは子供のもの、信念を貫き通すのは大人のもの、なんてイメージを勝手に持ってしまっていて、でもわがままと信念の違いを問われると困った顔で笑うことしか出来ない。

 

 

15歳年上の人と付き合い始めて半年ほどになる。別れる時までの秘密だが、私が半年ほど相手の好きという言葉をスルーし続けたのは大学卒業までだろうと、向こうもそう思っているだろうとタカを括っていたからだし、付き合うという言葉を発したのは思ったよりも相手が本気で私に好きという言葉を使っている事を知ってしまってビビって、流されたから。そうしてもうすぐ40代になる男の人生を思い出話やこのあいだの出来事として聞いていくうちに、怖くなってしまった。

 

 

私はよくわからないままに大人の見た目を手に入れて、心の中の小学生のまま成長しなくなった子どもも年とともに消えていくのだと、漠然と思っていた。

違かった。消えてなんかいない。ずっとずっとずっと、そいつは心の中に居座り続けている。友人はもう父親だよ、と笑って話すその人たちも、この前やった映画の名台詞を事あるごとに使って楽しそうに笑う、高校生と同じ事をしてるんだ。一緒にいるのにスマホなんか見るなよと、10代の女の子のような不機嫌さを露わにしてるんだ。なら、私の心にいるこのへちゃむくれで意地っ張りな、目の前にいたら張っ倒したくなるような弱っちい人間は、ずっとずっと私として生きていくのか。

 

 

25歳ぐらいまでには消えるだろうとタカを括っていた子どもは消えないという。25歳までに人格は形成されてしまうという。25歳になると肌の衰えをマジで感じるようになるよ、と先輩は体験談を語り、20代なんだから今のうちに好きな事をやっとけよと上司は笑う。

私はこの前24歳になって、25歳にはもう1年もなくて、筋肉痛が当日に来なくなったのは身をもって知っていて、30代の女性社員が部長のおじさんに私たちの話の引き合いに出すために昭和生まれのババアと呼ばれるのを聞いている。

 

 

ああ、きっとここで、自我をきちんと持った人間ならば、映画や本の主人公ならば、あと1年もないこの時間を有効に使おうと、ここで自分を変えてやると決意するんだろう。それが正しくて強くてこれから活躍していく未来を担う若者なんだろう。

 

 

私の決意は3分で萎れて、30代までに死にたいなぁという根っこを地中に伸ばしていった。ロープも睡眠薬も手首の傷も何にも手にはしなかったけど、毎朝地下鉄のホームに降りるたびに地震が起きて潰れちゃいますようにと祈り、煙草も吸わないのに喫煙所の近くで立ち止まり、深夜2時に寝て朝の6時に起きるようになった。

 

 

明日っからまた日月火、ほら水木回って金土、日曜。

14時間睡眠で、日々この体力を注ぎ込んで、大人になるってどういう事?外面良くして35を過ぎた頃俺たちどんな顔、かっこいい大人になれてるの?

私は全然特別な人ではないと知ってしまっているので、今、1時間かけてこの文を書いて、学生の頃に聞いたweeeekの歌詞がぼんやりと浮かんだものの、結局大人がなんなのかはわからないまま明日のために風呂に入ろうとしている。きっと明日も、神様は私の願いを叶えてはくれないのだろうけど、死なないから生きてる大人にも、社会人としての見た目が必要な明日はやってくるので。そして恐らく、1時間後にはTikTokyoutubeを見て、何にも無かったようにケラケラと笑っている。